皆さんこんにちは、おだいら矯正歯科は昨日より診療を再開しております。
7月にとても可愛がっていただいた先輩が急逝したことを書きましたが、シルバーウィーク中の9月21日5時55分、今度は私が生まれたときから実の息子のように可愛がってくれた叔父が肺がんの肝臓転移で亡くなりました。享年69歳です。
私にとって幼いころから大好きなおじさんであり、憧れの存在で死ぬ間際まで「敦兄ちゃん」と呼んで慕っておりました。
小さいころ、引っ込み思案だった私が最大に心を許せる人で、幼稚園生の頃からよく一人で敦兄ちゃんの部屋に泊まり、一緒のベッドに寝ていました。
お泊りしたときは必ず「母と子のおやすみ前の小さなお話」という本を「敦兄ちゃんと安彦のおやすみ前の小さなお話」と言い変えて読んでくれました。
小学校の高学年以降もたくさん遊んでもらいました。将棋やオセロ、花札、ポーカー、ブラックジャックはすべて敦兄ちゃんに教えてもらいましたし、自転車に乗れるようになったのも敦兄ちゃんと夕方遅くまで練習したからです。
全日本プロレスが栃木県内に巡業に来たときは、毎回一緒に観戦に行き一緒に興奮しました。
中学生の頃はよく内緒で映画のレイトショーを観に連れて行ってもらいました。スターウォーズを初め、映画が大好きになったのは間違いなく敦兄ちゃんの影響です。
そして大人になってからはパチンコで出る台の見方なんかも(笑)
若いころはセミプロのバンドを組んでドラムをやったり、アメリカ合衆国アラスカ州にレストランを開いたりとかなり破天荒なイメージでしたが、晩年は実家のレストランの仕事一筋で、仕事とレンタルビデオ屋の往復が毎日でしたので、一昨年前のお正月に「たまには一緒にシンガポールのカジノに行ってブラックジャックで勝負しに行こうよ!」と言ったところ「よし、行こう!」とかなり乗り気で楽しみにしていたのですが、その後すぐに肺がんが発覚し、一緒にカジノへ行く計画は実行できませんでした。
もう少し早く行っておけばよかったとは思いますが、7月のゴルフ部の先輩が亡くなった時ほど多くの後悔はありません。
それは入退院を繰り返したこの1年半あまりに近況や昔の話、テレビやスポーツの話、しょうもない噂話など、たくさんの話ができたからです。
亡くなる前日も会いに行きました。最初はうつろな状態でしたが手を握ると気が付き、声にならない声で「来てくれたんだ」と言った後は言葉が出せず、私の手のひらに気力を振りしぼって指で字を書いてくれたのですが、もうろうとした指の動きと私の涙でまったくなんて書いているか分かりませんでした。
おそらく別れの言葉だったんだと思います。
最後まで優しい「敦兄ちゃんでした」
それにしてもこの3か月で大切な人を2人も堪えますわ。
タバコはやめた方がいいですよ!