皆さんこんにちは、
ここのところ暗い話題が多くなっている気がします。
今回の世界的不況のあおりは、私の故郷、「
毎年8月の第1金曜日に、古河電工日光事業所の池のほとりで行われる夏の風物詩、「日光和楽踊り」が、今年は不況のあおりで中止になったのだそうです。
新聞によりますと、
日光和楽踊りは大正天皇が1913(大正2)年9月、古河電工日光事業所(同市清滝町)の前身「日光電気精銅所」を訪れたことがきっかけで始まった。以後、戦後の一時期を除き毎年8月、同事業所で開かれていたが、世界的な景気後退に伴う業績の悪化で、今年は中止となった。
そうです。
盆踊りといえば地元の住民、特に子供たちにとっては思い入れがあるものですが、私にはこの日光和楽踊りに、それ以上の特別な思い入れがあります。
私の実家は元々、古河電工の賄い所から始まった丁田屋という、数年前に創業100周年を迎えた老舗の食堂で、現在も社員食堂や仕出し弁当など、古河電工関係の仕事をやっております。
その「丁田屋」が1年で一番忙しい日が日光和楽踊りの日で、これは数十年間、もちろん私が生まれてからずっとそうでした。
お祭り当日は、まず母と祖母が夜中の2時に出勤し、お赤飯を炊き始めます。これを弁当に入れるのですが、全盛期には1000個以上作っていたそうです。
そして私はというと、お赤飯が出来上がった朝6時頃から手伝いに行きます。小学生の頃はたいしたことはできませんでしたが、弁当に輪ゴムを通したり、割り箸を入れたりと子供なりに一生懸命やっていたと思います。
弁当は9時頃出来上がり、それを各部署に配って、朝の一仕事は終了し、遅めの朝食をあまったお赤飯で済ませます。
その後、子供たちは夕方まで暇になりますので、昼寝をしたり、早めにオープンしている露店を見に行ったりして時間を過ごします。
夕方5時になるとまた忙しくなります。
池の隣にある社員食堂を開放し、出店を開くためです。
出店ではビールやジュース、焼き鳥に焼きそば、さらにおでんやフライドポテトなど、夜店で見る一通りのものは売っていて、私は高校生まではカキ氷係、大学生になってからは、ビールとジュース係も兼務していました。
ちなみにビール係を兼務したのは、もちろん自分も飲めるからです。
午後7時ちょうどになると出囃子の笛が鳴り響き、それに続いて一斉に池のほとりがライトアップされます。
この時には、皆から歓声が上がり、いよいよ「祭り」の始まりです!
池の周りを古河の会社の方や町の人たちが中心になって、和楽踊りを踊り始め、夜店のほうも大忙しで、あっという間に終了の午後10時になっています。
この日は唯一、子供が夜更かししても良い日でした。
今回、日光和楽踊りが中止になり、ブログの記事を書きながら改めて、思い出してみると、本当にいろいろな思い出がよみがえってきます。
両親との思い出、祖父母との思い出、親戚や友達との思い出…
お祭りでおこった出来事のすべてが懐かしい思い出です。
私と同じような思い入れがある方がたくさんいるのでしょう。
新聞によりますと多数の市民からの強い呼びかけもあり、
ちなみに清滝小学校は私の母校で、昨年まで行われていた古河電工の池から歩いて10分ほどの場所にあります。
今年はこれで仕方がない(為替イベントが出来ただけすごいと思います)ですが、来年は是非、古河電工の池のほとりで復活してもらいたいです。